No.3
「踊らにゃわからん!」 by Yukio

今回は先月、惜しまれつつこの世を去った
「サルサの女王」セリアクルースの事を少しお話します。

ラ・マエストロ、ティト・プエンテが

「彼女のような人は二度とあらわれないだろう。彼女はすべてをもっている」

と語ったように50年以上もラテン音楽界の中心で活躍し、今、現在でもトップ(2000年から出来たラテングラミーのサルサ部門3年連続受賞)の地位にいる彼女の輝かしい音楽の軌跡は、私なんかが話すのもおこがましいのでこんなお話をさせていただきます

セリアクルースは、1960年にメキシコツアーに向かう飛行機の中でバンド仲間の亡命とともにキューバを後にしました。最初、数年だけキューバを離れると思っていたそうですが、その後キューバに帰る事はなかっそうです。

キューバ時代も、亡命後にもラテン音楽史における偉大な軌跡をたどった彼女ですが、海外に亡命した他のミュージシャン同様にキューバの音楽史からは最近まで(’97頃まで)黙殺されてたようです。
だから、キューバの人たちは彼女の活躍をその頃まで全くしらなかったのです!
彼女の近所に住んでいた人でさえ「あの子はメキシコにいったきりで歌もやめたようだ」と言っていたそうです。もちろん、いまでは彼女の歌声はキューバでも流れていますけどね

キューバを亡命した後も熱心なキューバ愛国者であった彼女ですが70年代セリアと同じファニアレーベルいた、ウイリーコロンがキューバやプエルトリコ以外のラテン音楽に目をつけてブラジルやその他のラテンアメリカの民族音楽を取り入れて曲を作った時セリアにヴォーカルを以来したそうです。彼女はその話しを散々断ったそうですが、とうとう説得されて、いやいやサンバを歌わされた事があったそうです。

元、オルケスタ・デ・ラルスのヴォーカルNORAがステージ上で何度も「サボール!」叫びますが、これはまさしくセリアの「アスーカル」から影響を受けたものです。

彼女はステージの最後に謙虚な態度でこう歌いかけます

「このかわいそうな歌い手の名前をどうか忘れないで

 わたしは、一張羅の服を着た

 わたしは全力を尽くした

 わたしの名前はセリ・アクルース」

彼女の名前と歌声は永遠に刻まれるでしょう...... Azucar!

 

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